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『愛国戦隊大日本』論争をざっと見てみた(その2)

 前回は思わせぶりな引きをしてしまったが、今回はそれとは違った話から始める。

 『愛国戦隊大日本』について、ゼネプロと『イスカーチェリ』の評価が完全に分かれているのは前回見た通りだが、論争の当事者以外の人間がどのように見ていたかも気になるところなので、今回は最初にそういった人たちの反応を見ていきたい。

 まずは、長山靖生氏の感想から。氏の『戦後SF事件史』(河出ブックス)の中で『愛国戦隊大日本』論争が手際よくまとめられているというのは前回も書いたが、長山氏自身の『大日本』への評価は以下の通りである。同書P.188より。

 もちろんこの作品は冗談として作られたもので、思想的に社会主義ソ連を批判する意図があったわけではない。むしろ「思想的」であること自体を揶揄した作品といったほうが適切だろう。

(中略)

「大日本」も素人の自主映画としては優れていたが、ショボさもあり、それがちょうどビートルズのミリタリー・ルックのように、「愛国」へのパロディにもなっていると私は感じた。

  バランスのとれた評価と言うべきだろうか。「「愛国」へのパロディ」波津博明氏に反論した深川岳志氏や山形浩生氏にも通じる部分があって、当時そのような受け取り方をしたSFファンが一定数存在していたことをうかがわせる。

  次にDAICON FILMの世界』VOL.1、P.42~43に掲載されている「愛國戦隊大日本によせて」から著名人のコメントを紹介する。まずは野田昌宏氏のコメント。野田氏はSF大会で『大日本』を実際に鑑賞している。

 スターウォーズⅢにおいて、ダースベーダーが仮面を取った時に池田大作氏そっくりな顔が出てきた。その時これにはとても、この世のものとも思えないパロディ性を感じた。それと同様に、去年、愛國戦隊大日本を見た時にも、全く同質のものを感じた。それに発表した時期も教科書問題なんかがあってとてもタイムリーだったし、作品としても痛烈な皮肉がきいていて大変おもしろいものだ。

 この作品に関して反共だのという、うがちすぎな意見を聞くが彼ら(関西芸人)の作品はむしろ、いわゆるステロタイプ戦隊ものを、大真面目になぞった実にばかばかしい作品であり、私は大いに狂喜した。

 さらに、次作についてはマッカーサー東京裁判金日成父子やアフガン問題などについて、彼らに大いにこけにしてもらいたいというような意見を持った人がいるらしいが、彼ら関西芸人にそれを求めるのは見当ちがいである。

 むしろ、彼らの次の作品は普通のパロディのレベルをはるかに越えて、別の次元から、決して高次元ではなく全く別の次元からのものであって、きっと、実にこの世のものとは思えないような 、共感をおぼえ、狂気乱舞(原文ママ)できるようなものに違いない。

 今後の活動に、期待しています。(談)

 ベタぼめである。「ダース・ベイダー=池田大作」説はともかく、若いSFファンの意気を買う気持ちは確かに感じられる(パロディの域にとどまってはいけない、という叱咤とも感じられるような)。ただ、筆者はこの野田氏のコメントを読んで若干複雑な気持ちになる。何故なら、波津氏が『イスカーチェリ』で、野田氏がSF大会上映後に「モスクワテレビのプロデューサーが来る予定だったけど都合で来ていなくてよかった」と冷や汗をかいていたほどの「反ソ映画」だ、と強調していたのに、当の野田氏から「うがちすぎ」と斬られている。これは波津氏を気の毒に思わないでもない(しかも波津氏は『DAICON FILMの世界』を読んだ形跡がある)。

 次に開田裕治氏。開田氏は素人の作った特撮8ミリ映画は「ヒーローごっこ、ぬいぐるみごっこのたぐい」でしかない「拷問映画」になりがち、と嘆いた後で、

いやー、さすがサービス精神あふれる大阪芸人の映画。これなら金とって人に観せても犯罪になりません。

 更に次に観た「帰ってきたウルトラマン」のオモシロイこと!色々難クセつける奴もおるでしょうが、気にせず面白さ、うけの王道を突き進んでください。

 一応断っておくと、「難クセつける奴」というのが『イスカーチェリ』とは限らない。後で話に出すつもりだけど、当時は特撮をSFとして認めないSFファンも大勢いたわけで。

  そしてお次は実相寺昭雄監督。おお。DAICON版『帰ってきたウルトラマン』、というか庵野監督に多大な影響を与えたご本人ではないか。実相寺監督は『大日本』も『ウルトラマン』も面白く観た、と言いながらも、「アマチュアの映画は芝居がひどくて見ていられない」と延々と批判を続けている。ある意味親身になってくれているのかもしれない。ただ、

ウルトラマンが出て来て、仮面をかぶってないのは何か意図があるの?

と、聞き手の池田憲章氏に聞いていたので笑ってしまった。

 そして、最後は平山亨氏。…いや、まあ、実相寺監督に話を聞きに行くくらいなんだから、平山Pのところにも行くんだろうけど、それにしてもよく行くよなあ。

青春とは叛逆の時代

叛逆の中からこそ新しい創造が生まれる。

完成度よりも何よりも

このエネルギーに敬服する。

 …一応褒めてくれている、はずだ。ただ、少し怒っているようにも見えるのは、気にしすぎだろうか?  

 

 『DAICON FILMの世界』に掲載されている以上、ゼネプロ寄りの意見になるのは当然とも思えるので、『イスカーチェリ』側の意見も載せなければならない。というわけで、『イスカーチェリ』VOL.26のおたよりのページで「みんなで華激(ラディカル)しませう、ゼネプロ批判」という特集が組まれているので、それを紹介する。「しませう」というのが80年代っぽい、のかな?

 

 なお、ここで断っておくと、本稿ではこの後SF雑誌の投稿欄に寄せられたおたよりをいくつか取り上げていくつもりなのだが、著名人または公人と確認できない方の名前は基本的にイニシャルで表記していく。取り上げるおたよりの中に投稿者自身のプライヴァシーに関わる内容が含まれるものがあるため、たとえペンネームであったとしても、名前を記すのは避けた方がいいと考えたためである。その点は、読者のみなさんにもご理解をお願いしたい。

 

 さて、話を戻して、『イスカーチェリ』VOL.26から最初に紹介するのは、沼野充義氏のおたより。…自分でも名前が知っている東大の先生の名前が出てきてちょっとビックリしたが、沼野氏が『イスカーチェリ』に参加していたのを知らなかったのは我ながら不勉強だったと反省しつつ、沼野氏のおたよりを紹介してみる。『イスカーチェリ』P.126~127より。

(前略)大日本とかいう映画の件、興味深く読ませてもらいました。この間たまたま友人が送ってくれた週刊文春野坂昭如が戦争ごっこの流行について書いてましたが、どうもパラレルな現象に思えます。こういった流行の底にあるのは“思想”ではなくて、“軽薄”な大衆(少年少女)文化なのですから、右翼ときめつけたところであまり意味はないのではないでしょうか。

(中略)

たとえばハーケンクロイツイカレポンチの青少年の間に流行していても、そういった連中はその現実的意味・歴史的背景を知っているわけではなく(へたをすると第二次大戦で日本がどこと組んで、どこと戦ったか知らないような連中もいるかも知れません)、単に“かっこいいから”、“大部分の良識的な大人たちが眉をひそめるから”そういうものをはやらしている、ということになるのでしょうか。これはしかし、日本のようなのどかで、外国人との直接の接触が殆どない特殊な国だから特に可能なわけで、たとえば、「ドイツには絶対足をふみ入れたくない」というユダヤ人がそのへんにごろごろしているアメリカでくらしていたら(中略)、ハーケンクロイツに“現実的意味”が不可避的につきまとうということは、自明の理です。

(中略)

 ところで、これは小生の商売柄、気になったことの一つですが、“パロディ”というコトバは、あまりに誤用されているのではないでしょうか。パロディというのは、元来、模倣することによって原作を茶化し、こけにするもののことで、単に面白おかしく、ふざけてつくった作品のことではありません。“大日本”がパロディだとしたら、いったい、何を嘲笑しているのですか? 安手のSF映画、それとも右翼の反ソキャンペーン? もし後者だとすれば、これは波津氏らの批判は全く見当はずれで、高度の批判精神をもった作品だということになりますが、それだけの批判精神はこの映画の製作者にも、それを見て喜んだ観衆の大部分にもないでしょう。いずれにせよ、こんなものが“パロディ”の名に値しないのは明らかなことであり、この種のgeneric termの誤用はつつしむべきでしょう。

(後略)

  …さすがは学者さんというべきか、かなり手厳しい。ただ、『大日本』はパロディに値しない、と言われても当のゼネプロは「いや、あれはただの飲みの席のバカ話だから」とあまりこたえないかもしれない。沼野氏の意見はむしろ、『大日本』は右翼や自民党政府を茶化している、と擁護していた人の方がこたえるのかもしれない。あと、個人的に面白く思ったのは、日本が「外国人との直接の接触が殆どない特殊な国」という指摘で、『イスカーチェリ』側は『大日本』を「排外主義」と批判していたが、そもそも「外」の存在に鈍感だから排斥しようとも思わないまま、ああいう作品を作ったのではないか? と思えてきた。

 次は山田和子『NW‐SF』編集長(肩書は当時のもの)のおたより。P.128より。

 (前略)私、SF界の状況には殆ど関心がないもので、「愛国戦隊大日本」問題とやらもまるっきり知らなかったのですが、今号のイスカの記事を読んで、改めて、こんなにもひどいものかと、いささかの感動をおぼえつつ(!)あきれかえってしまいました。当の映画を全く見ていないことをまず明言した上で、イズムの岡田・武田対談を読んで、単純に申します。あのお二方は言葉も、表現ということも、その他諸々も、要するに何も考えていない方々なのでしょう。私などが、ごくごく普通に考えるには、あの対談のお二方の言葉は、最低限、ものを考えることのできる人間んからみれば……他に言葉がありませんね。ただただ何も考えていない、としか言いようがない。右翼という言葉を与えるのも、それこそ右翼に対して失礼でありましょう。

 冷静にして知性を感じる意見である。山田編集長と比べても波津氏はやっぱり怒りすぎだ、と思わざるを得ないし、冷静な文章の方が感情的なものよりずっと説得力がある。「右翼に対して失礼」というのもその通りなのではないか。 まあ、「右翼に対して失礼な右寄り」「左翼に対して失礼な左寄り」は今でもいるよな、と余計なことを考えつつ、次のおたよりへGO。

 次は田波正氏のおたより、なのだが、この田波氏は殊能将之氏のことだろうか? 

殊能将之 - Wikipedia

 名古屋大学SF研究会に所属していたとあるから、おそらくそうだと思う。また意外な人が…、と思いながらも、P.128~129より田波氏の意見を紹介する。

(前略)じつはぼくもTOKONで「大日本」を見て“ウケ”ていた一人なのですが、あの映画は確かに面白い。問題は公式の場であるSF大会でやるネタではなかったということでしょう。「大日本」はパロディだから面白いわけでも諷刺があるから面白いわけでも、タブー破りだから面白いわけでもなくて、何の理由づけなしでも面白いのです。沖雅也が自殺したころ、ビートたけしオールナイトニッポンに「空飛ぶ超人・オキマサヤン」などというハガキがきてみんなでゲラゲラ笑ったりしていましたが、「大日本」も同じようなオカシサがある

(中略)

 けっきょく、こういう(中略)笑いというのは内輪ネタなわけで、ゼネプロの人たちは「同じSFファンなんだから」という考えを持っているのではないでしょうか。イズム誌上に平気で『SFの本』の記事を転載するような感覚や、「SF界だけにはこんな人おらへんと思てたのになあ……」という発言にもそれを感じます。でも、一,〇〇〇人単位で人が来るようになったら、もう内輪じゃないしね。

(後略)

 『大日本』の中身を評価しながらも、SF大会で上映すべきでなかった、という『イスカーチェリ』側の批判を半分肯定して半分否定するような内容になっているが、30年以上経った今でも頷ける見方ではないだろうか。ビートたけしオールナイトニッポンの名前が挙がっているのも今となっては貴重で、『大日本』が当時の風潮の中で成立した作品だったことを証明しているように思える。

 もうひとつ、「内輪」についての指摘も重要で、ゼネプロに「これくらいなら許されるだろう」という甘えがあったのではないか、というのは筆者も当時の資料を見ていて感じるところなので、「その1」の最後で取り上げた『アオイホノオ』での描かれ方にはだいぶ違和感がある(『アオイホノオ』に関しては本稿のラストでもう一度触れる)。その点、人が多くなれば「もう内輪じゃない」という田波氏の指摘はクールでなおかつ正しい、と感じる。田波氏(殊能氏)の方が岡田氏・武田氏よりだいぶ年下なのに、どちらが大人かわからない(田波氏は1964年生まれ、岡田氏は1958年生まれ、武田氏は1957年生まれ)。

 最後にM氏のおたより。P.129より。

(前略)

 「反省なき民族」でなくなるためにも、「大日本」をTOKONで上映したことを謝罪させましょう!

(中略)

1.悪夢のスローガン「八紘一宇」をもち出した歴史しらずの心性

2.SF大会で上映し、国際主義を傷つけたという事実。

 この二点万死に値する。一昔前は何千万人の人が殺されている。という所で私は「アピール」を支持します。だけど波津氏の文章のようなかき方は良いとは思えません。仲間うちではいいでしょうけど。 

  …どうしてみんな波津氏に厳しいんだ。ホームグラウンドでもこれではさすがに気の毒になる。

 

 今回、「その2」は、SFイズム』VOL91984年1月発行)の読者投稿欄「読者だってゆってもいいのに」から、おたよりを3つ紹介して終わりにしたい。「その1」で紹介したように、VOL.8の「GENERAL PROTOCULTURE」で岡田氏と武田氏が『イスカーチェリ』に反論したところ、

8号で一番反応が多かったのは、やっぱりというかなんというかゼネプロのページでした。実にいろんな人がおりましてね。

 と『SFイズム』VOL.9、P.121にあるところを見ると、かなりの反響があったようだ(読者投稿欄を担当しているのは細川英一編集長)。では早速I氏のおたよりから見てみよう。P.121より。

 ゼネラルプロトカルチャーはムチャクチャ面白かったです。とてもとても笑えました。うー、なんなんだあれは。うちの大学で活動家まがいのことをやっている人でさえ、「大日本」は面白そうだから見てみたいというくらいなのに。別の視点から見れば右翼を笑い飛ばしているようにもとれる作品なのに(後略)

 (後略)は原文ママ。ここでも「右翼を笑い飛ばしているようにもとれる」と解釈されている。『大日本』を真に受けてはいないSFファンもいるから、『イスカーチェリ』(というよりは波津氏)はそこまで心配しなくてもよかったのでは? という気になってくる。次はT氏のおたより。P.121より。

 GENERAL PROTOCULTUREについて……困ったな。読んでて頭にきたんだけど、そうするとこちらが「アホ」になってしまってその衝動を具体化出来んかった。

 波津という人も阿保らしいけど、あの悪口は、あの二人にもそのまま返したいよ。もっとも、それを自慢にしてるんだろーけどさ。

 しかしこの二人、頭いいなあ。こういう批評をいちばん効果的な方法でやっちゃったんだから。

 それでも「笑えりゃいーんだ」風な思想はインテリ臭が鼻について、俺は嫌いだ。文句あるか。くそ。

 …山田編集長が「何も考えていない方々」と評した岡田・武田コンビがここでは「インテリ臭」と評されているのだから人の見方は実にさまざまである。あと、波津氏を逆上させた「GENERAL PROTOCULTURE」の漫才調の対話体が『SFイズム』の読者には効果的かつ魅力的に見えていたのだろう、というのも感じられる。それではラストのおたより。P.121~122より。

 General Protocultureの記事、まことに残念である。「愛国戦隊大日本」の製作者たちこそ、真に、日本の明日をうれえる、愛国者にちがいないと、感動していたのに、あんな、アカの抗議に、自分たちの力作を冗談だとは!! もともと冗談だったというなら、今すぐ「愛国戦隊大日本」という名を返上せよ!!

 KAL撃墜事件を君たちは、何と考えているのか?

 まちがいをみとめ今からでも、訂正し大日本国民に、いや、天皇陛下に、おわびするべきだ。何らかの意思表示がなければ、それなりの対策をたてさせてもらう。我々とて、あれだけの大作の上映会をつぶしたくはない。是非善処されたい。

(ひきょうなようで残念だが、我々の行動を事前にはばまれてはこまるので、住所・氏名、ふせさせていただく)

 …あー、昔からいたんだなー。こーゆー、冗談なのか本気なのかよくわからないことを言ってみんなを困惑させる人。だってこれ、1984年当時でも全然面白くないでしょう。

ゼネプロの二人に見せたら、口を揃えて、「アホちゃうか」と述べておられました。

 と担当の人も言っているし(P.122)。でも、四半世紀以上経過してから見てみると、あまりにもスベり倒していて、逆に面白くなっているから不思議だ。「事前にはばまれてはこまる」も見ようによってはかわいらしい。ヴィンテージもののどんずべりだ。

 

 この文章を書いていて初めてほっこりした気分になったところで「その3」につづく。でも、次は全然ほっこりできない話題だったりする。

 

戦後SF事件史---日本的想像力の70年 (河出ブックス)

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