『愛国戦隊大日本』はDAICON FILMが自主制作した映像作品で、1982年8月に開催された「日本SF大会」(通称「TOKON8」)で上映されたものである。いわゆる「戦隊もの」のパロディではあるが、アマチュアの作品としてはクオリティはかなり高く、参加したスタッフの中に後にプロとして大成した人も何人かいたこともあり(赤井孝美、庵野秀明、岡田斗司夫といった面々)、今でも伝説的な作品として評価されているようだ。上映時には会場の観客から好評を博したようなのだが、その内容を問題視する向きもあり、また批判に対して制作者も反論したため、その一連の経緯は「『愛国戦隊大日本』論争」として記録ないし記憶されている、ということになっている(たとえば巽孝之『日本SF論争史』など)。
今回はその「『愛国戦隊大日本』論争」について考えてみよう、というわけなのだが、この論争については既に長山靖生氏が『戦後SF事件史』(河出ブックス)の中で中立的な立場から簡潔にまとめていて、実際のところ、それを読めばこの論争については十分に理解が得られるはずである。今回当ブログは長山氏のまとめからこぼれ落ちた部分もあえて取り上げてみる次第なのだが、まあ、せっかく調べてみたのに書かないのもなんだから、という貧乏性のなせるわざ、と言えなくもない。
記事の構成としては、まず第1回で論争の主な流れを説明した後で、第2回で論争に対する反応を紹介し、第3回で論争の背景にある事情を説明してから、第4回で論争にまつわるある問題を取り上げてから総括する、という予定になっている。
また、「ざっと」とタイトルに書いたのは、この論争に関する資料すべてに目を通しきれていないのに加えて、『大日本』上映時に幼稚園に通っていた筆者が当時の空気を理解できるはずもなく、どうしてもリアルタイムを知る方と見解にずれが生じてしまうと思われるので、その辺を考慮したうえのことである。筆者の見方に疑問があれば、どうかご指摘していただきたい。
前置きが長くなったが、本題に入る。
まず、『愛国戦隊大日本』について説明しておいた方がいいのだろうが、ググればすぐに動画自体も出てくるだろうし、ウィキペディアで項目も立っているからそちらも参照してもらえれば。
愛國戰隊大日本 - Wikipedia
…と思ったのだが、それではいささか手抜きな気もするので、ゼネラルプロダクツが発行していた会報「パペッティア通信」Vol,1・3(1982年11月発行)P.10~11「君は知っているか⁉ 愛国戦隊大日本」よりストーリーを抜粋する(ゼネプロは岡田斗司夫氏らが運営していたSFショップ)。
ストーリーはというと、まあサンバルカンやゴーグルVを考えていただければ話は簡単。女性1人を含む5人の若者が超人的パワーをもった戦隊、大日本に変身。巨大ロボット・ダイニッポンと大日本戦艦を使い、北から日本を征服せんとやって来る秘密組織「レッドベアー」に立ち向かう、というお話。
(中略)
大日本の5人のメンバーはそれぞれ日本を象徴するものを名前としている。
アイ・カミカゼ(神風 猛)
アイ・スキヤキ(白滝 肉夫)
アイ・ハラキリ(切原 弾児)
アイ・ゲイシャ(舞子 ユキ)
アイ・テンプラ(衣 あげる)
また、それぞれ必殺技を持つ。カミカゼはゼロセン特攻パンチ、スキヤキは白滝肉がらめ、ハラキリはハラキリボール、ゲイシャは色街遊び天国と地獄、テンプラには油地獄・きつね色。(詳細はぶく)
5人で行なう必殺技は天誅ボールといい、5色のボールを1つにまとめて敵にたたきつけるのである。これで怪人はやられるのだが、
当然、巨大化する。
ここで大日本戦艦が出動するのである。その内部には、帝釈天號、毘沙門天號、外率天號の三機のメカが搭載されており、合体し巨大ロボ・ダイニッポンとなる。
ダイニッポンは日本剣をもち、愛国富士山返しで怪人を真っ二つにするのだ。
敵・レッドベアーは、総統デス・マルクスのもと、ジャボチンスキー将軍とツングースクキラー女隊長が手下の怪人を使い日本を侵略せんものと狙っているのだ。その要塞デスクレムリンにはMIG-31をはじめありとあらゆる兵器が搭載されている。
延々と引用してみて、悪ふざけ以外の何物でもないな、と思わざるを得ないが、かつて筆者もこれとよく似た特撮パロディネタをラジオ番組に投稿して読まれていたので、あまり強くは言えない(30年前から自分と同じようなことを考えている人がいた、と思うと感動しなくもない)。あと、ソ連が崩壊した今となっては、おちょくられているはずの政治的な要素に危険を感じるどころか「なつかしい」としか思えない、という点に「歴史の皮肉」らしきものを感じてしまう。
ここで問題となるのは、作品のネタおよびストーリーそのものは「悪ふざけ以外の何物でもない」のだが、全力で「悪ふざけ」をした結果、作品自体はかなりクオリティの高いものになっている点である(『大日本』の制作秘話については岡田斗司夫『遺言』を参照されたい)。それで「TOKON8」の観客に大ウケし、今でも伝説的な作品として語り継がれているわけだが、それと同時にそのせいで反発を招いたとも言える。作品のクオリティが低ければ単なる悪ふざけとしてスルーされていたかもしれないのに、クオリティが高いおかげで無視できなくなってしまった、というわけである。
『愛国戦隊大日本』批判の急先鋒に立ったのはSFファンジン『イスカーチェリ』である。
イスカーチェリとは - はてなキーワード
同誌VOl.24に掲載された堀秀治「TOKON8大長編非公式レポート」にはこのようにある。同誌P.88~89。
(前略)しかし、波津(引用者註 博明)氏に限らず、多くの参加者、とくにイスカーチェリ同人諸氏を顔面蒼白にさせるだしものが、プログラムの最後に登場した。大阪の営利団体ゼネラルプロダクツ製作の八ミリ映画「愛国戦隊“大日本”」である。
タイトルを見ると、だれもが“日本国家”を笑いとばす痛快なパロディかと思うはず。ところが、内容はおどろくべき低水準の排外主義プロパガンダであり、何と、製作者たちは、本気で「大日本帝国万才」を叫ぶのである。
(以下『愛国戦隊大日本』のあらすじが詳述されているが省略)
ところで、“ゼネラルプロダクツ”がそのために、七度生まれかわって奉公したいとかいう“大日本帝国”による、想像を絶するアジア人大虐殺はほんの四十年ほど前の話。製作者らが、職業的な右翼なのか、あるいはこれらが絶望的な無知によるものなのか、それは知らないが、いい年をして、世にこれほどの恥をさらすこともあるまい。まあ、せいぜい商売に熱を入れるのがよろしいんじゃありませんか。(後略)
とりあえず、堀氏が『愛国戦隊大日本』の内容をパロディやジョークなどではなくストレートに受け止めていることがよくわかる(なお、「堀秀治」は波津博明氏の変名である、と後に波津氏自身が明かしている)。また、この論争を考えるうえで見逃がせないもうひとつのポイントもここで出てきているのだが、それは後で説明するので、読者のみなさんはこの文章を頭の片隅に留めておいてほしい。
それだけでなく、VOl.24には『愛国戦隊大日本』を批判するイスカーチェリクラブとしての「緊急共同アピール」も掲載されている。8ページにわたる長文なので要点を抜粋すると、
1.内容を問題視。「極右政治映画」と判断せざるを得ず、パロディだとしても笑って済ませられるものではない、と批判。
2.TOKONでの上映を問題視。海外からメッセージが寄せられ、作家を招待しているSF大会において「排外主義」的な映画をメインホールで上映したことを批判。
ということのようだ。メッセージ本文も一応見ておいた方が雰囲気がつかみやすくなるはずなので、一部抜粋してみる。『イスカーチェリ』VOL.24、P.69より。
いかにパロディ仕立てであれ、あるいは製作者の本来の意図がどうあれ、現実には、この映画はア・プリオリに承認された日本国家権力を価値の中心に置いたうえで、流行していた右翼の“教科書赤化”キャンペーンや“ソ連脅威論”に無批判に乗っかり、ソ連を仮想敵国に仕立てて、徹底的に戯画化したうえで、その撃滅を肯定的に描き、さらにソ連に限らず、赤として総称される一切の反体制派、“異端分子”への“警戒”を呼びかけるという、目を疑いたくなるような、極右政治映画であると断ぜざるを得ません。これはまさに大政翼賛映画ではありませんか。世の急速な右傾化の波が、SF界にもはっきりと押し寄せつつあることを感じさせます。
怒ってるなあ。また、『大日本』のような作品が単なるパロディとして作られたとは考えにくく、「一部の政治色の強いスタッフ」が主導していたのではないか、という推測もされているが、後年の岡田氏らの行動を考えてみると、「ゼネプロの人たちそこまで考えてないと思うよ」と真顔で言いたくなってしまう。
なお、TOKONの実行委員会は『大日本』のフィルムを事前に確認しなかったものの、前日に岡田斗司夫氏から口頭で説明を受けていた、と「緊急共同アピール」にはあるので、ゼネプロ側は一応の手続きは踏んでいたものと思われる。
それでは、ここで、『愛国戦隊大日本』論争のおおまかな流れを簡単に記しておく。
1982年8月 TOKON8で『愛国戦隊大日本』上映
12月 『イスカーチェリ』VOL.24で『大日本』への緊急アピール掲載
1983年5月 『パペッティア通信』VOL.4で深川岳志氏が『イスカーチェリ』に反論
7月 『SFの本』VOL.3に波津博明氏の『大日本』を批判するコラムが掲載
8月 『DAICON FILMの世界』VOL.1に4コママンガ「イスカーチェリくん」掲載
10月 『SFイズム』VOL.8の「GENERAL PROTOCULTURE」第1回で岡田斗司夫、武田康廣両氏が『イスカーチェリ』に反論
12月 『イスカーチェリ』VOL.25でゼネプロ批判の特集
1984年7月 『イスカーチェリ』VOL.26で波津博明氏によるゼネプロ再批判、「おたよりのページ」でもゼネプロ批判
他にも細かい動きはあるのだが、これだけ押さえていればとりあえずは十分なはずである。それではひきつづき論争を見ていく。
まずは、『イスカーチェリ』からの批判に対する『パペッティア通信』VOL.4での深川岳志氏の反論だが、要点をまとめると、『大日本』は右翼を賛美しているわけではなくむしろ茶化しているのであって、それを右翼の賛美と捉えた『イスカーチェリ』こそ「頭の中が真っ赤に染まった人間」ではないか、というものである。なお、お断りしておくと、『パペッティア通信』VOL.4を入手できなかったので、この部分は『イスカーチェリ』VOL.25に転載された深川氏の文章に拠っている。この論争では、イスカーチェリ側もゼネプロ側も、反論する際に相手方の文章を「引用」ではなく「転載」しているのが、いささか奇妙ではあるのだが…。
次に『SFの本』での波津氏のコラムだが、これは『イスカーチェリ』に掲載された緊急アピールとほぼ論旨が同じなので省略する。
さて、『イスカーチェリ』から批判されたゼネプロも黙っていたわけではなく、『SFイズム』VOL.8から連載がスタートした「GENARAL PROTOCULTURE」第1回「スタージョンの法則」で反論している。この回は岡田斗司夫氏と武田康廣氏、いわゆる「大阪芸人」コンビの掛け合いで話が進んでいくスタイルをとっていて、冒頭はこんな感じである。
岡田(以下:岡)「いやー武田さん、ウケましたねー」
武田(以下:武)「うん、ぼくもあないにウケるとは思わなんだ。やっぱりSF大会来るような人間は、タチの悪い冗談好きやねんなあ」
岡「こんな映画つくっても誰もおこらんと笑てる、いうのがSF大会のエエとこですねぇ。他の世界やったら必ず青スジ立ててゲキドするマジメブリッコが出て来るもんですが…」
「こんな映画」というのはもちろん『愛国戦隊大日本』のことで、岡田氏の「こんな映画つくっても」云々は、『イスカーチェリ』批判の前置きになっている。「大阪芸人」コンビは上に掲げた堀秀治氏のTOKONレポートについてこう述べている(ここで『イスカーチェリ』を「転載」している)。
岡「た、武田さん。プッハハハ」
武「なんやねん。ハハハハハ」
岡「言うてもええですか?」
武「言うてみいな。プッハハハ」
岡「こ、このレポート書いた堀秀治ていう人、ア、アホとちゃいますか」
武「ワーッハハハハハ。あんた、そら言うたらアカンで。ヒーッヒヒヒ。せめて『〇〇』という具合にフセ字で」
岡「ほなら、この人ア〇でおまけにド〇ク〇で〇〇〇が〇〇〇〇〇……」
武「ひ、ひどい事言うやっちゃなあ」
「述べている」と書いたけど、コケにしている、というのが正しいか。それにしても懐かしいノリである。ふた昔前の同人誌のあとがきかフリーペーパーのような。まあ、こんな風に毒を吐いているのはあまり見た覚えはないけれども。
で、この後、波津氏がオランダのSF情報誌『シャーヅ・オブ・バベル』に『愛国戦隊大日本』の一件を寄稿しているのを知った2人はこんなことを話している。
岡「しかし何ちゅうか…。うん、こうなったらしゃーない! 武田さん、新作つくりましょう!」
武「何やいな」
岡「タイトルは『共産戦隊本中華』! アイ・マルクスとかアイ・レーニンとかが、帝国主義の『キラー・ザ・ペンタゴン』の魔の手より人民たちを守る話です。これをつくれば、いくらなんでもこの波津という人の怒りも解けるんとちゃいます?」
武「いや、判らんぞ。また『おどろくべき低水準の排外主義的プロパガンダ』とか言われるんちゃうか。いや、しかしSF界だけにはこんな人おらへんと思てたのになあ……」
岡「こないだの大阪の上映会でも、中学二年の男の子に『程度の低い人や小学生が見たら右翼の作品と思われますよ』と注意されたし。まあ『スタージョンの法則』は健在なり、ということでしょう。あー、アホらし」
「スタージョンの法則」というのは「全てのものの90%はカスである」という格言である。
そして、『SFの本』に掲載された波津氏のコラム(これも「転載」している)に事実誤認が多いことに腹を立てた岡田氏は「人類が海から出て、ここまで進化したのは、こんなアホみたいな文章を書くためではない筈です」「おそらく脳ミソは昨日のスキヤキにでも入れて食べたんでしょう」と後年の氏の饒舌ぶりを思わせる独特の言い回しで罵倒した後、武田氏とともに「アホにアホ言うて何がアカンねん!!」とシャウトして話を締め括っている。
また、『SFイズム』に先立って発行された『DAICON FILMの世界』VOL.1でも、『イスカーチェリ』を揶揄する4コママンガが載っているので、『イスカーチェリ』=洒落の分からないやつ、という認識はゼネプロ側が持っていた共通認識なのだと思われる。
『DAICON FILMの世界』VOL.1、P.39より(現在入手困難な本なので特別に画像を載せる)。
…さて、『イスカーチェリ』、ゼネプロ双方の主張が出たわけだが(ゼネプロはこれ以降反論していないので最初にして最後の主張になる)、すぐにわかるのは両者の主張が全く噛み合っていない、ということだ。
イスカーチェリ=極右翼賛・排外主義映画
ゼネプロ=ただのシャレで作ったもの
『愛国戦隊大日本』の捉え方からしてまるで違う。それに、硬質の文章で相手を厳しく責め立てる『イスカーチェリ』とくだけた対話体で相手を揶揄して嘲弄するゼネプロ、という具合にスタイルも異なっているので、一口にSFファンと言ってもひとくくりにはできない、と思うばかりだが、ここまで考え方とスタイルが違うのではそもそも「論争」が成り立つのか? とも思える。共通の基盤をある程度有していないとコミュニケーションすらとれないのだ。
個人的な考え方を述べさせてもらうと、『イスカーチェリ』が怒っている、頭に血が上っている、というのはわかりやすいところだと思うが、実はゼネプロも結構感情的になっている感じがある。さっさと頭を下げて陰で舌を出すこともできたのに、まともにやりあってしまっている、というのが四半世紀を経てこの問題をわざわざ掘り起こしている筆者の勝手な意見なのだが、ゼネプロには感情的になる理由があったのではないか、という気もしている。その点は第3回で説明したい。
さて、ゼネプロからの反論を受けて、『イスカーチェリ』も83年12月発行のVOL.25で「ゼネプロ問題」なる特集を組んで、改めて批判しているわけなのだが、特集の出だしが、
ゼネプロ問題の核心は、そのダーティな商業主義とファシズム的体質の結合にある。
なので(同誌P.63)、やっぱり話が噛み合っていない、と思わざるを得ない。ゼネプロが「『大日本』はただのシャレだから」と弁解しても、「シャレで済む問題ではない」と反論しているわけで、堂々巡りは避けられない格好になってしまっているのだが。
ただ、この特集記事を見ると、最初の緊急アピールから話が進んでいない、という思いもある。表現は違っていても、「映画の内容自体がひどい」「そんな映画をSF大会で上映するなんて」という二つの論点を離れた見方は出てこないのだ。
それは、ゼネプロに最も強硬に反発している波津氏のコラム「気分はもうファシズム」にも言えることで、波津氏はこのコラムで上にあげた深川氏、岡田氏&武田氏から指摘された「事実誤認」に対して反論しているのだが、「主な論点を離れて些末な点に固執していく」「表現が刺々しく攻撃的になっていく」という、論争が泥沼化していく過程が如実に表れていて、正直読んでいてあまり楽しい文章ではない(そもそもタイトルからしておっかない)。「気分はもうファシズム」は以下のように締め括られている。『イスカーチェリ』VOL.25、P.83より。
SFがこれまで、そして今もくり返し描き続け、現実にもさまざまな形態で存在し、また今も存在している全体主義が、これまでのような露骨な軍事独裁ではなく管理ファシズムの形をとって二十世紀末の日本に再び到来しようとしている今、社会と無縁でありうるはずもない「SFファンダム」においても、全体主義の空気は確実に広がっている。管理ファシズム、あるいはハインリヒ・ベルの表現を借りれば「福祉的戒厳状態」といった、いわばソフトファシズムの場合(それこそ、実はSFが一貫して描き、告発しつづけてきた現代―未来型の典型的全体主義なのだが)。全体主義の実体は(誤解を恐れずにいえば)、その気分そのものともいえる。想像力の中で描きつづけてきた悪夢が現実になろうとしているとき、SF人に要求されるのは、何よりも冷徹な現実認識と、強じんな批評性であろう。当面の危険を看過して、来たるべき全面的な管理ファシズムに対処することはできない。そして、今世紀末から来世紀にかけて、おそらくは最大の問題になるはずの、このコンピューター化された全面的管理ファシズムへの主体的対処を閑却して、二十一世紀の文学としてのSFを云々するなど、全く無意味な行為といわざるをえない。あえて“ゼネプロ問題”をとりあげつづける所以である。
…すげえ、としか言いようがない。まさか『愛国戦隊大日本』からこんな話になるとは。とはいえ、こんな話をされてもゼネプロの人らは困るだろうな、とも思う。ただ、波津氏は「GENERAL PROTOCULTURE」を「奇怪な漫才」「駄文」と厳しく批判しているのだけど、岡田氏の「共産戦隊本中華」というジョークに反応していないのは気になった。ゼネプロが「右翼」じゃないと困るのだろうか? と邪推してしまったり。
波津氏は『イスカーチェリ』VOL.26でも「さらなる批判の刃をゼネプロへ―気分はもうファシズム②」というコラムで批判を続けているのだが(やっぱりおっかないタイトルだ)、その中に九州SF大会でゼネプロが上映したというフィルムに触れている。『イスカーチェリ』VOL.26、P.115より。
男が、本誌25号(ゼネプロ特集)を読みながら、「君たちのいいたいことはよくわかった」とつぶやき、次の瞬間これをまっ二つに引き裂く、というだけの一、二分だという。
思わず『ブリティッシュ・サウンズ』を連想してしまったが、波津氏は当然これに憤っている。まあ、ゼネプロもやっぱり頭に来ていたんだな、というのはわかるけれど、ユーモアとして成立しているかは疑わしい。
波津氏はこの後『シャーズ・オブ・バベル』で波津氏に反論してきた山形浩生氏に向かって反論しているのだが、残念ながら山形氏の実際の文章を確認できなかったのでここでは触れられない(ただ、波津氏による要約を見る限り、山形氏はゼネプロを擁護しているというよりは波津氏および日本SFファングループ連合会議を批判している印象を受ける)。また、波津氏のこのコラムでは、ゼネプロによるある行動にも批判が及んでいるのだが、それに関しては第3回で取り上げることにする。それにしても、やはり波津氏の最初のコラムでも感じたことだが、このコラムでも「緊急アピール」以上の話は出てきていない。
波津氏はゼネプロが表立って反論してこないことに不満を述べているが、実際のところ、この「論争」に乗り気だったのは波津氏一人だけだった、というのが本当のところのようだ。波津氏は『SFイズム』にゼネプロへの反論を送付して掲載の約束を取り付けていたものの、編集部の判断で結局取りやめになっているという。それだけでなく、波津氏のホームグラウンドである『イスカーチェリ』からも批判が挙がっている。同誌VOL.26、P.122の「編集部より」から一部抜粋する(文責は岡本篤尚氏)。
本誌25号の拙論(特集・ゼネプロ問題「概論」)において、「本誌の貴重な誌面を、こんな不毛な論争に割くのは今回限りにしたい」と書いたのだが、波津氏の執拗な掲載要求に根負けしたのと、「掲載料払うからサァ」の一言によって、またも二〇〇字詰原稿用紙にして七五枚分もの波津論文を掲載するはめになってしまった。
岡本氏のウンザリした気持ちが伝わってきて笑ってしまうが、内部で批判し合えるというのは健全だな、とも思う(引用していない部分でも波津氏は岡本氏にかなり手厳しくやっつけられている)。
ともあれ、「『愛国戦隊大日本』論争」はこれでひとまず終幕を迎えたわけだが、当事者たちがその後この「論争」をどのように振り返っているか、に触れて第1回を終わることにしたい。まずは波津博明氏の感想。「SFファン交流会」2011年4月のレポートより。
www.din.or.jp
そして1982年、SF大会TOKON8の大ホール企画として、ゼネラルプロダクツ(ゼネプロ)がソ連を揶揄した自主製作映画『愛國戦隊大日本』を上映、波津さんをはじめとするイスカ同人有志がこれを批判したことで論争が起こりました。皮肉にもTOKON8にはイスカ同人がスタッフとして多数参加しており、波津さんも大ホールの司会でした。
実はTOKON8の数ヵ月後、波津さんたちはゼネプロの上映会に足を運び、『帰ってきたウルトラマン』『快傑のーてんき』などを絶賛したといいます。また、もともとおふざけはイスカも得意とするところ。「だから『大日本』だって、僕らも大喜びしておかしくなかった」と波津さんは言います。それがどうして批判となってしまったのか。
波津さんのお話を整理すると、その理由は以下の3点になります。
まず第1に、ゼネプロがスタッフにも内容を明かさず抜き打ちで上映したという手続き上の問題(ただし事前チェックをしなかったスタッフ側にも落ち度はある、と波津さん)。
第2は、当時与党だった自民党の一部議員が教科書の「左傾化」を非難し政治問題化していたことです。笑いとは権力を引きずり下ろすものだと考えていた波津さんは、ナショナリズムと排外主義を背景とした『大日本』のギャグは、この社会的文脈では弱い者いじめにつながると危惧したのです。
そして第3は、TOKON8がイスカ同人の尽力により30カ国ものSF関係者から祝辞を送られるという国際色豊かな大会であり、ストルガツキー兄弟を招待するプランもあったことです。実現はしなかったものの、当のソ連から反ソ宣伝ととられかねない映画の上映にもし彼らが居合わせたらどうなっていたか。
「反ソ集会に参加した危険人物として国家当局の監視を受ける可能性もあったが、ゼネプロにはそうした危険に対する想像力もなかった」と波津さんは指摘します。イデオロギー的にソ連を擁護したわけではなく、『大日本』が国際親善という大会のコンセプトに合致しないばかりか、かえってソ連内部の政治的抑圧を誘発する恐れすらあったがために『大日本』への批判となったわけです。
しかしこのような論点はまったく理解されなかったといいます。「僕は親ソでもなければ反ソでもない」と語る波津さんですが、世間では、イスカはソ連のSFを翻訳しているから親ソ派なのだという短絡的な見方がまかり通ることになりました。
波津氏が約30年経ってもブレていないのがよくわかる。その点は尊敬に値するし、波津氏の言い分もより知られるべきだと思う。
次に岡田斗司夫氏による感想。『遺言』(ちくま書房)P.32より。
実は、SFファンにも左翼系の方々がいて、『愛国戦隊大日本』の噂をきいて本気で怒り出したんですね。
「悪ふざけが過ぎる」と怒られるならともかく、僕らを右翼だと決め付けて、国粋主義を推進しようとしているとか言い出して、もう、わけがわかんない大騒ぎになってしまったんです。
僕たちは全員、右翼でもなければ、左翼でもありませんでした。むしろ、右翼か左翼か、二者択一を迫るような輩を一番嫌っていました。
悪口の的にしていたSFファンの先輩たちが、全共闘世代だったことも、嫌いに拍車をかけていたと思います。
だからこそ、こんなふざけた作品が作れるわけですね。
しかしそんな僕たちの思惑や考えなど世間は知るはずもない。
「噂」というけど、『大日本』を実際に観て批判した人もいるのだけど…。特に波津氏は当日司会までやっていて、だからこそあそこまで強硬な態度に出ている、とも思われる。
そして、武田康廣氏の感想。『のーてんき通信』(ワニマガジン社)P.76より。
だが、一部からその内容が「反社会主義」「右翼的」であるとして糾弾された。
まったくばかげた話であった。SFファンの好きな「バカ話」である。見て「アハハハ、アホやこいつら」と笑えばいいのである。よく考えれば(というより考えるまでもなく)「大日本」がそのような思想を含んだ作品でないことはわかるのだが、SFファンといえど「頭の固い人」には理解できなかったようである。
もともとぼくらの活動を快く思っていなかった人たちが、ここぞとばかりに叩きにかかったという側面もあったかもしれない。ぼくらは古いSFファンから「こんなものはSFではない!」といわれがちだった特撮映画やアニメを「これかてSFやん」という姿勢で取り上げていたからだ。
興味深いのは3人とも全員被害者感情を持っているように見えることだ。波津氏は「自分の言い分が理解されていない」と思っているようだし、岡田氏と武田氏は「思ってもいないことで批判された」と思っているようだ。少なくとも誰も幸せそうには見えない。その点では、『愛国戦隊大日本』論争はあまりいい「論争」ではなかったのかもしれない。
あと、岡田氏と武田氏が「SFファンの先輩たち」「古いSFファン」を苦々しく思っているようなのも共通しているのだが、まあ、『愛国戦隊大日本』はシャレなんだよね、SFファンが好きなバカ話なんだよね、とゼネプロ側の言い分をひとまず信じたところで、島本和彦『アオイホノオ』19巻(小学館コミックス)を読んでみると、DAICON FILMのメンバーが飲みの席で『愛国戦隊大日本』の元になるバカ話を語るシーンが出てくる。P.148より。
武田「TOKON 奴らの中に…固い…
ロシアの文学的SFを高尚や高尚やと持ち上げとる連中おるやんか」
岡田「うんうん、おるおる!」
澤村「おるおる!!」
武田「思いきり左なんが敵で…
思いきり右なのが戦隊側で…
おおっ ヤバそうやぞ!」
岡田「ヤバイヤバイ!」
澤村「ヤバイ所がおもろい!」
武田「右の人からも左の人からも怒られるような…
そんなんどないやろ。」
…えっ?
えーと、これが本当だとしたら、最初から『イスカーチェリ』を狙って『愛国戦隊大日本』を作ったことになって、話が全然違ってくるんだけど大丈夫? 島本先生が脚色したの? 島本先生に話をした人(岡田氏か武田氏?)が盛ったの? わけがわからん!
そんな風に混乱したところで「その2」につづく。
※追記
現在ネット上で観られる『愛国戦隊大日本』のエンディングで流れるスタッフロールには、「掲載誌」のひとつとして『イスカーチェリ』が挙げられているが、これはおそらくソフト化の際に付け加えられたものだと思われる。これを気のきいたジョークと捉えるか、挑発まがいのタチの悪いおふざけと捉えるかは、人による、としか言えない。