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『トンデモ本の世界R』を再読して

 トンデモ本の世界R(2001、太田出版)を再読していて、山本弘氏が大藪春彦餓狼の弾痕(1994、角川書店)を取り上げているのを見て「あったなあ」と懐かしく思った。そして、氏の文章を一通り読み終えてから、「やっぱり一言書いておきたい」と思ったのでその通りに書くことにする。

 『餓狼の弾痕』がトンデモ本であることは間違いのないところだろう。一応、オペレーション・ヴァルチュアーなる秘密組織が政界や財界の大物が汚い手段で築き上げた大金を巻き上げていく、というストーリーのはずなのだが、実際はただひたすら同じシチュエーションが何十回も繰り返されていく、という昨今流行りのループものを先取りしているのではないか、と誤解したくなる文字通りトンデモない作品なのである。筆者も以前に「唐沢俊一検証blog」で『餓狼の弾痕』をネタにしている。

ガロの弾痕。 - 唐沢俊一検証blog

 

情事の最中のターゲットを襲う→ビデオテープを見せる→金庫を開ける→ペースメーカー型爆弾を埋め込む→嘘でない証拠に愛人を爆破する→新世代の抗生物質「ホスミシン」と患者手帳を渡す→(最初に戻る)

 

 本当にこの展開が繰り返されるだけなので読んでいると眩暈がしてくる。だから、トンデモ本として取り上げられることに異議はない。しかし、山本氏の取り上げ方には異議がある。『トンデモ本の世界R』P.284より。

 実を言うとこの本、一度は商業出版で紹介するのを断念した。というのも、僕も角川書店で書いている身、おまけに大藪春彦氏といえば日本の誇るバイオレンス小説の巨匠である。その作品をトンデモ本として紹介するのは、さすがに勇気が要る。下手すりゃ作家生命を絶たれかねない。

 しかしその後、ご存知の通り、大藪氏は九七年に亡くなられた。ご本人が抗議してくる心配はもうないわけだし、角川書店のみなさんもたぶん笑って許してくださるだろう……と考え、ここに紹介することにした。なにしろ、埋もれさせるにはあまりにも惜しい大怪作なのだ。

 …えーと、一言で言えば「死人に口なし」ってことですよね、これって。20年近く前の文章に突っ込むのもなんだけど、普通は逆なんじゃないかな。著者が亡くなってしまったからトンデモ本として取り上げるのはやめておく、というのなら分かるけど、亡くなったから取り上げる、というのは筆者の目からは奇妙な倫理観にしか映らない。それとも、「と学会」の界隈では故人に対して生きているうちは言えなかったことをあれこれ突っ込む習慣でもあるのだろうか。

 この後、『餓狼の弾痕』から引用しつつ、作品のトンデモなさを紹介していて、このあたりはさすが山本氏、という印象である。『トンデモ本の世界R』で紹介されたのをきっかけに『餓狼の弾痕』を読んだ、という人も結構いるようだ。しかし、締め括りの文章でまたひっかかる。同書P..288より。

 まえがきによれば、日本の汚い政治に対する怒りが、作者にこれを書かせたという。怒りがあまりに強烈で、小説としての構成を忘れさせるほどだったのか。もっとも、伝え聞くところによれば、すでに死期が迫っていて頭が……だったという説もある。

 ともかく、ご冥福を祈りたい。

 山本氏は『餓狼の弾痕』を担当した編集者は困惑しただろう、と文中で書いているが、筆者としては『トンデモ本の世界R』の編集者もよくこれを通したな、と思わざるを得ない。健康状態を揶揄するなんて一番やってはいけないはずのことなのに。大物作家に対して腰が引けているのと、それでいながら「茶化したい」「からかいたい」という気持ちが出ていて、実に中途半端な感じを受ける。どうせやるなら徹底的に容赦なく突っ込むべきではないのだろうか。その方が逆に不快感も薄まるはずだ。

 ただ、自分が山本氏の文章に対して一番に不満を覚えるのは、どうして何度も同じシチュエーションを繰り返したのか、について考察がなされていない点である。「あれ~、同じことしか書かれてないじゃん、おかしいね、アハハ」と言うだけなら誰でも出来るのであって、おおよそ知的な態度とは言えないだろう。

 

 さて、上でリンクを貼った「唐沢俊一検証blog」のエントリーのコメント欄で筆者は藤岡真氏に対して以下のようにレスをしている(ちなみに『餓狼の弾痕』を山本氏に紹介したのは藤岡氏である)。

餓狼の弾痕』は凄い話なんですけど、大藪作品では丁寧に描写しようとするあまり最後は駆け足になってしまうことがよくあったので、どうしてああいうことになったのかはなんとなくわかります。ただ「トンデモだ」と笑い飛ばして片付けて欲しくないなあ、と思います。

 9年前のコメントだが、今でもこの考えに変わりはない。せっかくなので、「どうしてああいうことになったのか」、について、ここから自分なりの推測を書いてみたい。

  山本氏の文章を読んで最初に感じたのは、山本氏は大藪春彦の小説をあまり読んでいないのではないか、ということである。もちろん、それは責められるべきことではないが、とはいうものの、大藪の小説にどの程度触れているかで『餓狼の弾痕』に対する受け取り方は違ってくるのではないか、とも思う。そして、あまり読んでいないであろう山本氏に対して、筆者はわりと読んでいる方なので、当然受け取り方は違ってくる。

 『餓狼の弾痕』を初めて読んだ時、同じシチュエーションの繰り返しに酔い痴れた後で、個人的にまず感じたのは、「大藪さんはこういうのが一番やりたかったんだな」ということである。つまり、変態プレイに興じている敵を襲撃して拷問にかけて秘密を聞き出す、というシチュエーションを何よりも書きたかったのではないか、ということである。そういったシチュエーション自体、大藪の小説には必ず登場していて、ページも多く割かれているのが常である。拷問するために敵のズボンとパンツを脱がせたらジャングルに埋もれた男根から小水がほとばしるのも常である(一応大藪っぽく書いたつもり)。まあ、「拷問にかけられているとはいえベラベラよくしゃべるなあ」「そんな細かいことまで聞かなくても」と思ったりもする筆者は正しい大藪ファンとは言えないのかもしれないが。

 拷問が必ず出てくる、というのは別にエスっ気があるからではなくて、情報を収集する過程を重要視している、段取りをおろそかにしない、という意味合いもあると思う。上のコメントにもあるけど、段取りをしっかり書きすぎて、「最後は駆け足」になった作品もいくつか読んだ覚えがある。そして、『餓狼の弾痕』では段取りを結果よりも大事にしたからこそ、ああなった気もする。

 また、やはり上のコメントに「丁寧に描写」とあるように、大藪はリアリティを大切にする人で、銃器や自動車の描写の詳細さはよく知られているところだ。また、作品を書くにあたってロケハンを行ってもいたそうで、一例を挙げれば、以前Twitterでも書いたが『獣たちの墓標』(現在は光文社文庫)における沖縄の地理はかなり正確である。『餓狼の弾痕』でも、爆弾を体内に埋め込むまでなら他の作家もやるかもしれないが、その後で抗生物質「ホスミシン」を手渡すくだりまでしっかり描写する小説家は、日本いや世界広しといえども大藪春彦しかいないのではないか。「手術したんだから抗生物質を飲まなきゃダメだろう」というリアリティの徹底ぶりというか律義さが素晴らしくて、『餓狼の弾痕』を読んでいるうちに「ホスミシン」という単語を見るだけで笑ってしまうようになるのだから困ったものである。結局、『餓狼の弾痕』は間違いなくトンデモではあるのだが、大藪の作家としての資質が出たが故のトンデモではないのか、と筆者は考える次第だ。それがフォローになっているかは知らない。

 この文章を書くにあたって、筆者も『餓狼の弾痕』を電子書籍で再読したのだが、一番に感じたのは、「ウルフ」「餓狼」という合言葉がダサい、ということではなく、オペレーション・ヴァルチュアーは政界や財界の大物をあっさりと襲撃できるほどの実力を擁しているのに、どうしてチマチマと汚い金を集めて回っているのか、という疑問である。もっとすごいことができそうなのに…。10代の時に『戦いの肖像』(現在は新潮社から電子書籍が発売中)を読んで、あまりにも開き直ったハッピーエンドに感動したのがなつかしくなる。あれ、今なら「なろう」じゃん、って言われるわ、きっと。

 

 せっかくなので、筆者が大藪の小説を読んでいて「ええっ…」となったくだりも紹介しておこうか。『謀略の滑走路』(光文社から電子書籍が発売中)の第10章で、敵のボスの屋敷に忍び込んだ主人公が、ボスに見つかって一緒に一時間くらい音楽を聴いた後で、板の間に仕掛けられた落とし穴に落ちてしまう。この時点で「何故一時間も音楽を?」「何故落とし穴?」と疑問が湧くのだが(「昔の両班は部屋中に落とし穴を仕掛けていた」と説明されているが本当だろうか)、問題はその後である。『謀略の滑走路』P.221より。

 一時間ほどして、突然頭上から懐中電灯の光りが射し込まれ、一本のロープが投げ込まれた。

「どうぞ、このロープを伝って登ってきて下さい。星島さん、わたくしはあなたに助けられた申少尉の妹の白姫でございます。あなた様のことは兄から聞いております」

 で、主人公は落とし穴から脱出するのだが、さすがにご都合主義すぎて笑ってしまった。この白姫(ペクヒ)さん、このシーンにしか登場しないのだもの。ついでに書いておくと、主人公が敵のボスのところに向かうのを申少尉が何故知っていたのかもよくわからなかったりする。この後、金浦空港が大爆発したりしてアクションは充実しているのだが、一番心に残ったのが白姫さんだったのは否定できない。

 …でも、大藪春彦が生きていたらな、と思うことがある。モデルが丸わかりの大物を標的にした話をたまには読みたい。「安毛首相」「クランプ大統領」「ZAZAの後澤社長」とか。

 …一応、大藪春彦ファンとして多少なりとも擁護しよう、という心意気から出発したはずなのだが、逆効果になってきた気もするので、話を変えることにする。

 

 山本氏の文章を読んでいて思ったのは、ただ単に「笑う」のや「怒る」のは別に高度な振舞いではない、ということだ。むしろ、「笑う」「怒る」ためには知識もしくは経験の欠如が前提になっているのではないか、とも思う。例えば、大人の行動を理解できない子供がそれを「笑う」ことはあるし、日本人の習俗を知らない外国人がそれを「笑う」(またはその逆)こともあるだろう。逆に言えば、多少事情を知っていたり自分に近しい事柄だと「笑う」のも「怒る」のも難しくなる。山本氏を含めた「と学会」サイドが唐沢俊一氏のP&Gを少なくとも対外的に目に見える形で笑いも怒りもしなかったのもそういうことなのだろう。まあ、人間だからやむを得ないことではあるけれど。ついでに書いておくと、山本氏は唐沢氏に「長文」を書くことを先般ツイートしていたが、以前から書いているように筆者は山本氏は「長文」を描かなくてもいいと思っているし、山本氏の「長文」に対してあまり期待していない、というのがより正確な心境である。もはや唐沢氏に対してもあまり興味が持てなくなっているしね。

 

 そういうわけで、笑ったり怒ったりするだけではダメだ、しっかりと考えるんだ、と唐沢検証の際に思えたのは「と学会」のおかげでもある、と筆者は個人的に感謝している。まあ、それが実行できたかはあまり自信がないけれど。

 なお、『トンデモ本の世界R』に収録されている、山本氏の小林よしのり『新ゴーマニズム宣言SPECIAL 戦争論(1998、幻冬舎)への批判についても取り上げたいのだが、まず『戦争論』について評価をしてからでないと山本氏の批判に触れられない、と思ったので、今回はパスすることにした。来年中に『戦争論』を取り上げたエントリーをアップして、その中で山本氏の批判についても触れるつもりではいる。

 というわけで、余計な宿題をまた増やしたところで、「ex検証ブログ」の2019年は終了である。

 

 

トンデモ本の世界R

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謀略の滑走路 (光文社文庫)

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  • 作者:大薮 春彦
  • 出版社/メーカー: 光文社
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  • メディア: 文庫