坪内祐三が2009年1月に入院していたことはあまり知られてはいないかもしれない。『本の雑誌の坪内祐三』(本の雑誌社)の年譜(あまりに細かいことまで書いているので読み物として面白い)には、
新宿で酒を飲みすぎ、路上で転倒。救急車で運ばれ大久保の病院に入院する。二週間ほどで退院。
とある。また、『文学を探せ』(講談社文芸文庫)巻末の年譜には、
一月初旬、新宿の飲み屋を出たところで転んで頭を打ち、脳挫傷で一〇日間入院する。
とある。2つの年譜の内容にちょっとしたズレが存在するのを気にするのが我ながらヘンタイだと思うものの(坪内もそういう人ではあった、と自己弁護)、2009年当時、坪内は「小説現代」と「本の雑誌」で別々に日記を連載していたのだが(坪内の追悼特集が組まれた「ユリイカ」2020年5月号で亀和田武が「一時は日記を二種類も書いてどうするんだというふうに思ったけど(笑)」と言っているのに笑ってしまった)、1月初旬の日記を2つとも読んでも、どちらにも入院したとはっきり書かれていない。『書中日記』(本の雑誌社)を気を付けて読んでみると、2009年1月15日に、
朝、ちょうど一週間前に扶桑社のイキシンヤ君から見舞品としてプレゼントされた雑誌(後略)
という一節があるので、「やはり入院していたようだ」とわかるくらいである(もうひとつ言えば、いつもの通常回では出かけた先の地名がしっかり記載されているのだが、2009年1月初旬にはそういった表記はない)。また、もう一方の『酒中日記』(講談社)2009年1月20日には、
七時、大久保の「くろがね」。先週末までこの近くにカンヅメになっていて(後略)
とあり、この「カンヅメ」は入院を意味しているのだと思われるが、どうしてこんな風に伏せた書き方をするのか首を捻らざるを得なかった。
そのヒントまたは答えになるのか、佐久間文子『ツボちゃんの話―夫・坪内雄三』(新潮文庫)に、2000年11月の事件で入院した時のことが書かれている。
本人が連載担当者以外に入院のことはなるべく言わないでほしいと強く言うので、しばらくは友だちにも伝えなかった。(中略)
入院を秘密にしたがったのは、殴られた顔が面変わりするほどひどい状態だったこともあるし、儀礼的なお見舞いが、とにかく億劫らしかった。
結局のところ、他人に気を遣わせるのが嫌なだけだったのかもしれない、という気もする。実際、坪内は時間が経ってから自ら入院の事実を明かしているので秘密厳守というわけでもない(だから年譜にも記載があるわけだ)。福田和也との対談連載『これでいいのだ!』をまとめた単行本『無礼講』(扶桑社)のまえがきならぬ「まえ談」で次のように語っている。同書P.2より。
福田 (前略)あと、坪内さんは入院したじゃないですか。09年の正月早々に救急車で運ばれて。
坪内 今回の入院はたいした話じゃないからね。新宿で酔っ払ってコケて、頭打っただけだから。
福田 でも脳挫傷で、血圧も高いと聞いて心配でしたよ。もう大丈夫ですか。
坪内 大丈夫。自分で血圧マシン買ったし。ときどき血圧200超えますけど。
福田 200⁉
坪内 うん。
続く部分でも坪内はユーモアを交えて語り(ネタにしている、と言ってもいい)、福田も同じく高血圧で、その影響で大学の授業中に鼻血が出た話を披露しているのだが、過去に健康診断であれこれ指摘されたことのある筆者としては個人的にもとても笑えない話で(坪内よりもマシな数値ではあったが、それでも結構厳しく言われた)、前にも掲げた『文学を探せ』巻末の年譜に、坪内の死因について「高血圧性心疾患による急性循環不全」とあるのを見ると何も言えなくなる。『ツボちゃんの話』によると坪内は「極端な病院嫌い」だったそうだが……。*1
また、これとは別の「災難」もあったようだ。『続・酒中日記』(講談社)2012年2月17日にこんなことが書かれている。
(前略)一人で「富士そば」に入りカキアゲそば食べたあとトラブルに巻き込まれる。いったんは路上にたたきつけられた私が、起き上り、その若い男(テレビで見た吉本の芸人のような気がする)のあとを追っかけていったら(夕方の雪は雨に変っている)、その男はタクシーに乗って逃げた。帰宅は三時半(このあと数日、右半身の激痛に悩まされることになる―その際一番楽なのは原稿を書くことであることを発見)
どうにも不思議な話である。トラブルになった経緯がよくわからないし、「芸人」が登場するのも突飛で、酔っぱらって幻でも見たのではないか、とも思えるが、「右半身の激痛」がある以上、夢でもなさそうだ。……というか、因縁をつけられて死にかけたこともあるのに何故「追っかけて」いっちゃうかね、と思ってしまう(「SPA!」の対談連載でもこのトラブルについて発言していて、相方の福田はドン引きした様子だった)。『ツボちゃんの話』には、
ツボちゃんは喧嘩が強くない。腕っぷしなら私のほうが強いぐらいで、ジャムの瓶のふたが固くて開かないと、だまって私のところへ持ってくる。それなのに、危険を察知し行動を抑制するメカニズムが壊れているのか、もともと備わっていないのか、明らかに危険な相手でも突っかかっていくので、そのたびに私はハラハラさせられた。
とあるので、生まれつきの性格としか言いようがないのかもしれない(「ジャムの瓶のふた」のくだりで、「やっぱり憎めない人だな」と思ってしまうけども)。
あと、『昼夜日記』(本の雑誌社)2014年5月8日にはこのようにある。
五十六歳の誕生日。体調きわめて悪し。血をけっこう吐く。定例の読書会の日だが、終了後、私は酒でなくカルピス飲む。
……いや、「酒でなくカルピス」で解決するような問題じゃないと思うのだが、と今更言ったところでむなしいだけかな。
坪内にしても、坪内と長期にわたり対談していた福田にしても、坪内が高く評価していた西村賢太にしても、ついでに筆者が以前検証していた唐沢俊一にしても、「もっと身体を大事にしてほしかった」という思いがある。もちろん、彼らは彼らなりに懸命に生きてきたはずで、その生き方を尊重すべきなのかもしれないし、他人が軽々しく踏み込めない部分は確かにある、とも思う。筆者としては「もう若くもないのだから、もっと自分を守る努力をしよう」と彼らから勝手に教わったような気がしているのだが。
*1:ただし、日記を読むと歯医者に通っているのが確認できる









