伊藤彰彦(1960~)は映画史家・映画プロデューサーとして知られ、筆者も以前『映画の奈落完結編』(講談社+α文庫)、『無冠の男・松方弘樹伝』(松方との共著・講談社)を大変興味深く読んだ。伊藤は福田和也と高校時代からの友人で、『映画の奈落』でも福田と映画を観に行った思い出話が書かれていたほか、『最後の角川春樹』(完全版は河出文庫)では福田へのインタビューも収録されていて、伊藤によると「あれは福田が元気だった最後の頃でした。」(『なぜ80年代映画は私たちを熱狂させたのか』著者・伊藤彰彦ロングインタビュー(後編))とのことである。ただ、当該インタビューでの福田は、
私もこの十年ほど、いろいろありましたからね。家出をしたり、病気になったり、友達が亡くなったり。でも今、生きてるし、美味いトンカツも食えるし、何とか原稿も書けて、有難いなあと思ってる。(後略)
「元気」ではあるにしても往年の活力は感じられずしんみりしてしまう(引用は電子書籍版に拠った)。それにしても、『保守とは横丁の蕎麦屋を守ることである』(河出書房新社)表紙の福田は何度見ても衝撃的だ。
その後、福田は2024年9月に亡くなり、「ユリイカ」2025年1月号で福田の追悼特集が組まれ、伊藤も『東田端の福田和也』という福田の家族にも取材したうえで故人との思い出も記した詳細な小伝を寄稿しているのだが、「いい話」ばかりでなく両親の介護をしなかったなど友人でありながら(だからこそ?)福田にとって痛いであろう箇所も指摘している。中でも、福田が文筆家としてデビューする前に家業である麺機製作所を手伝っていた際に、営業マンとして失敗して父や従業員たちに迷惑をかけたことについて書かれた、
彼は「保守とは横町の蕎麦屋を守ることである」と書いたが、蕎麦屋の麺を作る町工場の従業員は守らず、守れなかった。
という一節(同誌P.102)には強く衝撃を受けた。福田の言行不一致を鋭く衝きながらも、その一方で友人としての思いやりもしっかりあるので、出来の悪い追悼文にありがちな故人を貶める後味の悪さ(唐沢俊一の「追討」でよく見かけられた)もない見事な文章だったと個人的には思っている。
以下は余談だが、前出「ユリイカ」の特集で筆者が最も驚愕したのが、大塚英志『福田和也の「駄々」』で、
だから、ぼくが論壇から距離を取ろうと考え始めた時、彼を扱ったインタビューの場をわざと出版社の会議室にしてコンビニのペットボトルとサンドイッチを出した。それはぼくには普通の仕事の作法だったが、それで彼は怒って、以来、会っていない。
上の一文(同誌P.134)を目にしたとき、「ヒーッ!」と思わず悲鳴を上げてしまった。大塚も福田が「美食家」であるのは当然知っていたはずで、やることがすさまじいというかエグいというか……。
話を戻す。「キネマ旬報」2020年3月上旬号に伊藤は『どうしようもなく厄介で人間臭い先輩』という坪内祐三(2020年1月に死去)の追悼文を寄せている。伊藤が坪内と初めて会ったのは、2010年7月に伊藤が企画・脚本を担当した映画『明日泣く』に坪内が出演した際で、伊藤は坪内の自信過剰さと演技の拙さ*1に驚いたり呆れたりしながらも、出会いがきっかけで坪内の著作を「欠かさず読む」ようになり「毅然たる態度に頭が下が」る思いがしたという。やがて伊藤は『映画の奈落』の出版にあたって坪内に相談に乗ってもらい、
わたしが文筆家としてデビューできたのは坪内のお蔭なのだ。
と深く感謝している(同誌P.39)。ところが、伊藤が『無冠の男・松方弘樹伝』を作成していた最中、「SPA!」2016年12月13日号掲載の坪内と福田の対談『これでいいのだ!』第653回(長期連載だったと改めて実感)で坪内が以下のような発言をする。同誌P.126より。
伊藤さんは今、松方弘樹の本を作ってるらしくて、すごくディープみたいなんだよ。松方もそろそろ亡くなるんじゃないかと思うけど―もしかしたら亡くなったあとに本を出すつもりで待ってるのかもね。本が売れて伊藤さんに小金持ちになってほしいよね。
理解に苦しむ放言、としか言いようがない。当時闘病中だった松方のために本の完成を急いでいた伊藤に対して余りに心無い言葉で(松方は残念ながら『無冠の男』発売前に亡くなった)、伊藤が講談社の編集者を通じて抗議したのも当然だろう。その後、坪内は「週刊ポスト」2017年3月24・31日号*2の書評欄で『無冠の男』を「伊藤彰彦が凄いインタビュー集を出した」「日本映画史的にも貴重な本だ」と褒めているのだが、だからといって取り返しがつく話でもない、と伊藤も思ったのか、前出「キネマ旬報」の坪内への追悼文は、
このように、坪内は人と人とを結び付け、人を持ち上げ、そして貶め、近年は酒場で理由もなく憤った。しかし、町でばったり会って目を見れば、すべてを水に流してしまいたくなる、どうしようもなく人間臭い先輩だった。
と複雑な思いを感じさせる締め括りになっている(同誌P.39)。
再び余談になるが、このエントリーを書くために原典に当たるべく「SPA!」2016年12月13日号を手に取って『これでいいのだ!』をチェックしたところ、かなりビックリさせられる箇所があった。同誌P.125より。
福田 安倍ちゃんにしても、わざわざ暗殺しようって人はいないでしょう。
坪内 いや、安倍ちゃんを暗殺するのはやめてほしいよ。狙われるってことはそれだけ大物だったことだから。もし暗殺されたら大物だったってことになっちゃうからね。
福田 ははは、たしかに。
……まあ、もちろんブラックジョークのつもりだとは思うのだけど、しかしこうして現実のものとなってしまい、ジョークを飛ばした当人たちも亡くなってしまうと何も言えないというか(『これでいいのだ!』の他の回を読んでも、坪内と福田の安倍晋三への評価は低かったように見えた)。
さらに余談。小谷野敦が2012年7月22日のブログで取り上げている「en-taxi」Vol.36掲載の坪内のエッセイ『あんなことこんなこと』第4回は、小谷野が指摘しているエッセイ賞へのこだわりもよくわからないのだが、その前に年下の編集者に対して「売名行為」と書いていて、「どうしてこんな意地悪なことを書くのか」と思われてならなかった(坪内の文章を読んでもその編集者がそこまで悪質だとは思えない)。晩年の坪内は抑制を失っていたのか?と思わざるを得ないが(各種の追悼を見ても坪内はキレすぎで、長年組んでいた福田でさえ追悼文で「怒りっぽいところが苦手」と書いていた)、『これでいいのだ!』の伊藤への発言にしても「売名行為」にしても、編集者がカットすべきだった、とも思う。素人である筆者から見てもアウト判定なのにどうして通ったのか謎である(「en-taxi」の場合は坪内が責任編集だからだろうか)。
話をまた戻す。「キネマ旬報」2020年3月下旬号で、『坪内祐三と映画』という座談会が組まれ、伊藤と内藤誠と高崎俊夫が故人の思い出を語っている。内藤は坪内主演の映画『酒中日記』を監督しているが、仕事場を撮影したいと提案したところ、坪内に「頑なに拒否」されたと語っているのが興味深い一方で、伊藤は前号の追悼文と同じく鋭い発言をしている。同誌P.148より。
坪内さんと話していて日活は一般映画の「赤ちょうちん」(74年、藤田敏八監督)は観に行ったけど、ロマンポルノは観なかったと聞いて驚きました。十代のころは、穏健なお坊ちゃん趣味だったんですよ。
もうひとつ、同誌P.150より。
坪内さんは頭に血が上るととたんに「捨て身」になるんですよ。この人は十代の頃、喧嘩で痛い目にあったことがない人だな、と思いました。
……福田の追悼文にも言えることだが、伊藤は坪内が「一番言われたくないこと」を言っているように筆者には感じられる(坪内は「実家が裕福」であると言われることにたびたび不快感を示していた)。しかし、それは故人を攻撃したいからではなく、友人だった福田と恩人だった坪内に真摯に向き合おうとした結果、そのような表現にならざるを得なかった、とも感じられる。褒めるばかりではなく、辛口な批評もまた追悼の在り方の一つ、と言えるのかもしれない。









